2012年01月15日

蓄積。

年末からはじめた薪集め、少しずつたまってきました。
積み上がった薪を見ては、妙な満足感。。(笑)
蓄積。
薪割りもだいぶ板についてきた感じです。
ただ、梅の木はけっこう硬くて、節があったりすると割れないので、
割らないでそのまま積み上げたものもあります。

人によっては、
「妊婦がそんなことして危ないわよ~」
という方もいらっしゃいますが、
「でも、安産にいいらしいです。怪我しないように気をつけますね~」
とこたえて、バスバス薪割りしてます(笑)。

蓄積されていく薪を見ながら、内山節さんの本に書かれていたことを思い出しました。
『戦争という仕事』という本で、信濃毎日新聞社の連載記事をまとめたものです。

「消費と仕事」という章の中の一節をちょこっと抜粋。

「たとえば、かつてはお店では売り手と買い手の関係があった。
昔からの関係の蓄積を前提にして、店の人と客は会話をし、
ときに商品をすすめられながら、客は商品を購入した。
だが、今日のコンビニやスーパー、量販店は違う。
その場限りの関係が生まれ、その関係もたちまち消える。
つねに新しい関係が一瞬生まれ、消えてくという繰り返しのなかで、
私たちは暮らしている」

「現在では、私たちを包むあらゆる部分で、このような変化が進行しているのだと思う。
関係が希薄化しているとよく言われるけれども、それは正確な言い方ではない。
関係が蓄積されていかないのである。
あるいは、たえず新しい関係が生まれては、
その関係が使い捨てられ、消費されていく世界の中に、
私たちが次第にのみこまれていったのである」
と。

そして、いまの時代は
「関係を消費しながら生きることが虚しくなり、
蓄積をされるような関係とともに生きたいと思う時代」
に変化してきていて、
「使い捨てられていく仕事より、蓄積されていく仕事を望む人たちが増え」
ていて、
「消費の時代と脱消費の時代が、いまでは社会の奥で衝突しはじめている」
のだと。

そうなのかもしれない。
「消費」することの虚しさに気づき、
「蓄積」していくことの喜びを感じはじめている人が、
いる気がする。

周りを見回せば、身近なところにもそう感じている人がいる気がする。
そして、私自身も、そう感じはじめている気がする。

人との関係における蓄積。
モノとの関係における蓄積。
そして、自分の人生における蓄積。

いろんな蓄積があると思うけれど、
なるべくなら”蓄積していく生き方”をしたいな。

蓄積されていく薪を見ながら、そんなことを思いました。


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Posted by 百姓を目指す修行生 at 19:41 │こころねぐらし

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